敗北記録

敗北したアニメに関してアウトプットしていきたい

【感想】さよならの朝に約束の花をかざろう 「たったひとつのヒビオル」

さよならの朝に約束の花をかざろう』を視聴しました。

 

マリー……いや、岡田麿里さんに勝負を挑むような想いで映画館と向かったのですが、

結果としてはものの見事に敗北してしまいました。

 

岡田麿里さんの性癖を感じるような気持ち悪さを感じながらも、

頭からさよ朝のことが離れないのでそういうことなんでしょう。

 

『異種族の若い少女と人間の男の子の擬似親子関係』が主軸だったので、

『親子関係』を軸として感想を書かれている方が多く見られますが、

私はこの作品は『マキアという女性の人生』の話だと解釈してます。

 

マキアと視聴者の視点

本作品の徹底している部分に、

未来のマキアに関連しないことは原則的に描かれないという部分があります。

わかりやすい例で言えば、ミドとデオトのその後の部分ですね。

二人についてはラングの台詞で簡単に表されるだけです。

 

そして、そのラングすらも終盤のメザーテ以降にどう過ごしたかは明かされません。

視聴者としてはラングのその後って気になるところだと思うんですよ。

だから、ちょっとは触れられるかなと思ったんですが、当然のように描かない。

 

ドレイルの街でラングに対してマキアは、

エリアルのことだけを考えてきたから、それ以外のことは考えられない』、

と口にするわけですが、

物語構成も同様としていたことに作品性の高さを感じます。

 

そして、エリアルに対してもこの部分は通じています。

マキアが知りようのないエリアルのシーンは何度も描かれますが、

それでも、決定的なことは言葉として描写されない。

そして、マキアと別れた後のエリアルについては、ほぼ”結果”の部分しか描かれない。

エリアルを見る視聴者の視点はマキアとそう大きくは変わらないのです。

 

『いってらっしゃい』と『ただいま』の接続関係

上記に属する言葉は、作品内では幾度も登場します。

中盤から後半にかけて印象的なシーンを抜粋すると、

 

1. 酔ったエリアルの「おかえりのキスは?」

2. 軍に入るエリアルへのマキアの「いってらっしゃい」

3. レイリアの元に向かうマキアへのエリアルの「行かないで!」

4. ヘルム農場での「ただいま」「……えり、なさ……」

5. ラストシーンの「いってらっしゃい」

 

といったところでしょうか。

 

1つめの「ただいま」は、他のものとは少し毛色が違いますね。

ただ、ここからマキアとエリアルの関係性と上記の台詞の関連が伺えると思います。

「ただいま」は母親に甘えるということであり、

彼らにとっての親子の証は、出発と帰宅の挨拶として描かれているわけです。

そして、「いってらっしゃい」こそが守る立場としての言葉であり、

「ただいま」は守る立場からの言葉であるということも理解出来るかと思います。

 

二つ目の「いってらっしゃい」ですが、こちらはまず二人の状況から確認しましょう。

 

ミドの元から離れたマキアとエリアルは、

世界を二人だけのものとし、各地を転々とします。

これはマキアの性質上、同じ場所には一定期間以上いられないからです。

つまり、彼女たちには「ただいま」と帰って来ることが出来る、

明確な場所というものは存在しないのです。

あるのは二人の居場所だけ。そこにマキアとエリアルで過ごす場所があるかどうか。

それだけが二人の帰る場所であり、『親子』二人のという関係なのです。

 

この点はドレイルでのマキアの「いってらっしゃい」でわかりやすく表されていますね。

マキアは「いってらっしゃい」と伝えるものの、

ドレイルから移動すると決めていますし、次の居場所も決まっていません。

別離のシーンであるが故に、二人の関係が見事に描かれた素晴らしいシーンですね。

 

3つめの「いってらっしゃい」および、隠された「ただいま」は、

どちらかというと接続関係の確認です。

ですが、念のため。

 

上述した通り、「ただいま」は甘えることであると読めます。

膝枕されるエリアルはその姿でもって、

やっと「いってらっしゃい」の返事が出来たというわけです。

対して、「行かないで!」はマキアへの「いってらっしゃい」です。

 

これがどう繋がるかというと……

お分かりかと思いますが、ヘルム農場です。

 

このシーンはもう本当に素晴らしくて……。

やっとエリアルが「ただいま」と言えるようになるんですよ。

マキアとエリアルが帰ってくる場所をちゃんと作り上げた上で。

このシーンに関しては視聴していればそれだけで感想は共有できますよね?

 

そして、エリアルは新しい旅路に足を進め、

それに対してマキアは、「いってらっしゃい」と告げるわけですが、

エリアルの帰る場所、それはやはり明確などこかではないんです。

ただ、そこにマキアがいればいい。

それが彼女たちの関係性なんです。

 

総括

前述した通り、さよ朝本編はマキアとエリアルの物語ではありません。

マキアとエリアルの話で構成された、マキアというキャラクター1人の物語です。

ですが、そんなさよ朝本編もマキア本人にとっては、人生の一部でしかないんです。

レイリアが言ったような、「ちょっとした寄り道」と同じように。

しかし、こうして得た人との関わり、エリアルとの触れ合いは、

彼女のヒビオルに深く、深く、刻まれています。

本当のひとりぼっちには、決してならないんです。

 

わたしたちの現実の世界でも同じように、

出会いが別れに至ってしまうことは数多くありますよね。

『一時期仲良くしていたけれどいつの間にか疎遠になってしまう……』

なんてことは特にネットなんかだとザラです。

でも、もしそうなったとしても、その時感じたものや交し合った熱は、

自分の中の一部として生き続けているんじゃないかと思うんです。

 

だからこそ、これから出会うものにも愛を持って、人生を過ごしていく。

そうやって、歩みを続けた最後には、

自分というたったひとつだけのヒビオルが出来上がるから。

 

 

そんなポエムを書きたくなるくらいには、

歪んでいながらもやはり美しい物語だったと思います。

 

岡田麿里"監督"、俺の負けだ!